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「書くこと」とテクノロジーの関係を整理する - ITmedia

 いうまでもないことだが、この文章は「PC」というテクノロジーを介して書かれている。PCだったりタブレットだったり、スマートフォンだったりと、実際に使う道具はバラバラだが、筆者が外部に公表する文章は100%テクノロジーを介して作られたものだ。今時珍しいことでもない。

 「スマホしか持っていない若者には文章が作れない」という声を聞くこともあるが、「そんなことはないんじゃないか」と思う。実際筆者は書いているし。大昔、紙からワープロ・PCへと移行した時代や、それどころか、海外で紙からタイプへと移行した時代にも、「機械で作る文章など」と言われたものだ。

 時代によって(広義の)テクノロジーは変わり、テクノロジーによって表現は変わる。一方で、人間の脳みそは(おそらく)変わっていない。

 というわけで、「書く」という最終的な行為が、テクノロジーの介在によってどう変わっているのか、少し整理してみたいと思う。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2020年2月17日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから

「道具への慣れ」と「道具による思考への影響」

 「スマホでは長い文章は書けない」といわれるのはなぜだろう? シンプルにいえば、慣れ親しんだPC+キーボードに比べて方法論が違いすぎて使いづらい、入力が遅いと感じる、ということだろうと思う。

 確かにそれは事実といえる一方で、「物理キーボードがいやだ」という若者もいる。10年前は「ケータイのテンキーでレポートを打ちたい」といわれたものだし、今はそれがフリック入力に変わっただけだ。もうすぐ音声入力で同じ話が出てくるだろう。音声入力の認識率がさらに高まるのであれば、もはやタイプするより早い。キーボードを打てる人が少なかった時代には、ペンで書いた方がずっと速かった。

 こうした話は「道具による慣れ」と、「道具が思考に与える違い」の関係を考慮しないとズレていく。テクノロジーへの習熟度は、「書く」「描く」などの作業の場合、効率に直結する。効率の悪さは時に思考の妨げになるため、道具の特質だと誤解されやすくなる。過去、PCやワープロが「清書道具」と扱われていたのは、印刷するときれいになるという特質が好まれたものの、タイプするという行為への習熟度が低かったため、紙と同じように思考のための道具としては扱われなかった、と理解すべきだ。

人間にとっては自然で自由な「紙+手書き」

 とはいうものの、テクノロジーの性質として、それぞれには明確な性格もある。ただし、それらの多くは「現在は」という留保がつくが。

 紙+ペンは、「人間にとって最も自然であり、自由度が高い」というのがなによりの特徴だ。紙という記録媒体は便利だ。軽く、どこにでも持ち運びやすく、サイズの制約も小さい。その上にペンで書くのは、だれにとっても難しくない。枠などが決まっている場合もあるが、そこからはみ出すか、中に入れるかは書く側の自由。文字や図を描いたり、文字を囲って強調したり、線を引いて追加情報を加えたりするのも難しくない。

 すなわち紙は、自由な平面の上に、思考を書き出していくにはとても向いた道具だ、ということだ。

 欠点は「他人への伝達手段としては制約が多くなる」ことだ。自分以外に理解させることを前提とすると、「きれいに整理して書く」「他人にも分かりやすく書く」必要が出てくるし、「検索性」も求められる。データ化しないと処理したり伝達したりするにも制約がある。

 こうした欠点は、現在のテクノロジーで解消されつつある。画像としてデータ化して蓄積できるし、そこから文字認識などを使って検索したり、自動整理したりすることも不可能ではない。タブレットなどの上にペンで書く、という形を採れば、「傷みやすく、なくなりやすい」という紙の欠点もカバーできる。

 ただし、人間には認識できる手書きでも、100%ソフトが正しく認識できるとは限らないし、そもそも「他人に理解できるつもりで書いて」いても読み取れないことは多々ある。

 すなわち手書きとは、「自分が思考を外に出すためのツールとして優れているが、伝達のツールとしては不向き」である、と言うことができる。

 ただ、技術の進化が「手書き文字のデータ化」に関する制約を取り去っていった結果、PC+キーボードとの差違も小さくなっていく可能性は存在する。

PC+キーボードは「データ化」こそ特質

 「PC+キーボード」の特徴は、データ化と直結していることだ。他人への伝達や蓄積、検索を前提とした文書の作成には向いている。現在、ほとんどの文書がPC+キーボードから生み出されているのは、「コンパクトにデータ化されている」という価値が絶大であるからだ。

photo

 しかも、タイプという作業は無駄が少なく、生産効率がいい。同じ量の文章を書くのであれば、紙+ペンよりもタイプの方が身体への負担も小さく、生産速度も速い。修正・変更が、紙に比べて圧倒的に簡単であることも大きい。

 一方で制約は「文字というデータにする作業を脳内でやってしまう」ことであり、「文字以外がストレートに扱いづらい」ことだ。横もしくは縦に文字を並べていくには向いているものの、紙+ペンが持っていたレイアウトの自由さは失われる。音声や板書を文字化する場合には、脳内で「シンプルな文字」に置き換える作業を行っているため、どうしても情報欠損が出る。

 別の言い方をすれば、PC+キーボードという道具は、「特定の方向へ文字を素早く積み上げていく」にはとても向いたものなのだ。もちろん、マウスやカーソルキーで前後に移動して作業できるのだが、本質としては「先の文章を脳内で考えながら今の位置にタイプしていく」アプローチだといってもいい。

 これは半ば私見だが、脳内で行われる「シンプルな文字への変換」という作業は、意外と負荷が大きいのではないか、と考えている。

 「会議や取材のメモをタイプできない」という人が時々いるが、その人々にヒアリングすると、文字化する際の情報欠損に問題があり、「文字化してタイプしているうちに次の話題がやってきてしまう」と言われる。かといって別にタイプが遅い人ではない。普段はあまり意識していない脳への負荷が、メモのタイプというリアルタイム性の高い処理では気になってくる、ということではないか。

 ごく小さな負荷という観点で言えば、日本語入力は不利である。ローマ字入力であれば「ローマ字化」「漢字変換」という2つのレイヤーが挟まる。かなタイプだとしても、漢字変換は必要。タイプしたものが文章そのものである英語などに比べ、思考との直結性は劣る。

「スマホで長文がかけない」と言われることの本質はなにか

 スマートフォンは現状、PC+キーボードの縮小版といえる環境になっている。比較的小さな画面で、フリック入力などでタイプする。文字入力速度はPCのキーボードより遅くなる傾向があり、画面も狭い。

 一方で、PC+キーボードを「先の文章を脳内で考えながら今の位置にタイプしていく」道具と定義するなら、スマホとの差はさほど大きくない。冒頭で述べたように、画面の狭さもソフトウェアキーボードも大きな制約とはいえない。むしろ、本体が小さくどこでも使えるため、文章を作る場所の制約がより小さなものになる。

 問題は、PCに比べて「それなりの長さの文章を作る」ニーズが小さいと思われていることだ。実際にはかなり大きなものなのだが、「スマホではSNSやメッセージ向けの短文を作るのがせいぜい」というある種の思い込みがあり、文書作成ソフトなどの成熟が進んでいない。いつまでもPC版のレプリカのようなものしかなく、スマホの持つ「文書制作機器」としての本質的な価値が花開いていない、と感じる。

 結果として、文章をPC+キーボードと同じように丸々書いてしまうより、移動中などに文章の要旨を書き、そこに肉付けするアプローチが向く。本来文章は、内容を考えた上で肉付けしていく作り方が推奨されている。しかし、多くの人はその作業を脳内で行っており、概要を書き出してから文章を作ることをしていない。

 構造的で長い文章を作る訓練を受けた(もしくはそれに慣れた)人であれば、スマホ上でも同様のことができるのだが、そうでないと、単に順番に書いていこうとして、「PCに比べてこなれていない部分」でつまずいてしまう。

音声入力の進化で「論理的な長文作成のノウハウ」がより重要に

 もう一つ、文字を書いていく上で本質的な変化となり得るのが「音声入力」だ。

 実のところ、文字をペンで書いたりタイプしたりするより、話す方が早い。脳内の思考とも直結している。機器の操作に対する習熟度の問題もなくなる。

photo この文章はiPhoneの音声入力で作成

 リアルタイムで会話を正確に書き起こせるなら、「メモのためのタイプをする」ことの意味が大きく変わる。事実を残すのは書き起こしの仕事になり、自分の印象や疑問といった、本当の意味での「メモ」に集中できる。

 一方で、文章を書く道具として「音声入力」を捉えた場合には、本質的な問題が2つある。

 1つ目は、話し言葉と書き言葉の違い。書き言葉で自然に話すのはなかなか難しい。文章の全てが「会話調」では困る。「書き言葉で自然に、機械に対して話す」という能力を身に付けないと、音声入力で文章を書くのは難しい。

 2つ目は「文章の構成」だ。文章を書くとき、人は脳内で構成をそれなりに考えているものだが、「話す」時は意外とそうではない。以前も原稿に書いたことがあるが、音声認識を使って文章を書こうとすると、「文章の先」が非常に見えにくい印象を受ける。ペンで書いたりタイプしたりする時は、脳内で数百字・数千字先の内容もイメージしつつ書いている部分があるが、なぜか「話す」場合には、そうするのが難しい。内容が決まった話題を話すのは難しくないが、それが定まっていない場合、論理的に話すのは難しい。「オチのある長い話」をアドリブで話せる人はそんなにいないものだ。

 この2つの問題から、「口述筆記」という作業にはそれなりの訓練がいる、ということが見えてくる。ペンやキーボードと同じような、文章を書く道具として「音声」が使われるようになるには、口述筆記の技術が一般化する必要があるのではないか。

 「文章が見通しづらい」という問題は、スマホで文章を書くときの問題に近い。だから筆者の場合には、音声入力で原稿を作る場合、概要を箇条書きの感覚で話していき、その後に肉付けする、というアプローチを採る。結局ここでも重要なのは、「構造的な長文を作るノウハウ」そのものである。

 人間の脳は、論理的な長文をサクサク書けるようにはできていない。訓練しないと難しいものだ。ペンやキーボードによる文書作成は、学校に入って以降、ある種の「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」としてそのことをやってきた結果、普遍的な能力として多くの人が身につけている。

 今後テクノロジーが進化し、音声入力の精度が高まってくると、ペンやキーボードとのアプローチの違いに、より注目が集まるのではないか。だとすれば、本質的なトレーニングとして、学校などで「構造的な長文を作るノウハウ」を教える必要があるし、そうなっていくのではないか。

 これもまた、人とテクノロジーの関わり方による変化なのかもしれない。

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February 28, 2020 at 01:31PM
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