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なぜソニーはビクターのVHSに敗北したのか…ベータマックスの責任者が語る「ビデオ戦争」の勝敗の分かれ目(2023年10月21日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース

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ベータマックスのビデオテープ(写真=tsca/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons)

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1970年代後半、ソニーの「ベータマックス」とビクターの「VHS」による家庭用VTRの規格争いが起こった。この戦いで、なぜソニーは敗北したのか。「ベータマックス」の開発・マーケティングの責任者だった盛田正明さんと神仁司さんの共書『人の力を活かすリーダーシップ』(ワン・パブリッシング)より紹介する——。

■ビデオ戦争の“戦犯”が語る

実は私は1967年頃家庭用ビデオテープレコーダー『ベータマックス』の開発・マーケティングの指揮を執る責任者でした。ですから、私は(ビデオ規格・ベータマックス対VHS争いの)“戦犯”と言っていいです。

あの頃、ビデオは、世の中で放送用のものしかありませんでしたが、家庭用のビデオを作ろうと井深さんが発想して、試行錯誤の末、最初にできたのが、『U-マチック』という結構大きなものでした。井深さんが、「ポケットに入るサイズにしろ」と言って、さらに小っちゃいものを作ろうとして、1973年に木原信敏さん(当時主任研究員)が、ベータマックスのサイズを考えました。


ベータマックスのビデオテープ(写真=tsca/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons

その当時、ビクターさんもビデオをやっていましたが、それがVHSビデオテープでした。松下電器さんも開発中で、ベータマックスとVHSのどちらにしようかという状況でした。

たった一つ、ソニーの考え方がこれまでとちょっと違っていたことがありました。われわれはいつもグローバルにと考えていましたが、ベータマックスを商品にしようと思った時に、やはり日本で最初に商品にしないとダメだろうと考えたのです。日本ほどテレビをよく見ていた国民はいませんでしたから。


■「タイムシフト」というコンセプト

国民的テレビ番組のNHKの大河ドラマとか朝ドラは、みんなが見ていました。しかし、その時間に自分に何か用があって見られないことがあります。だから、昭夫は、テレビには“タイムシフト”が大事だと考えたのです。

テレビ局が、この時間がいいと思って放送しているけれども、あれはテレビ局が一方的に、ここがいいと思って考えた時間なので、それを自分の都合のいい時間にシフトしてテレビを見る。あらゆるテレビにビデオをつけて、自分の見られないものは録画して、自分の都合のいい時間に見る。“タイムシフト”をして、初めてテレビが完成するのだというのが、昭夫の、そして、ソニーのコンセプトでした。

大河ドラマは45分の番組でした。1時間以上の番組はあまりありませんでした。それで、ソニーは1時間録画できれば十分だという考えでスタートしました。

ビクターさんは、たぶんアメリカといろいろ話したのだろうと思います。アメリカ人はテレビをタイムシフトして見ようという人などほとんどいないので、ソフトウェアとして見るのがいいのではないかと言われたようです。映画を考えると、2時間必要になる。だから、カセットは大きいけれど、2時間にした。そこがベータマックスとVHSの最初に違ったところなのです。


■決着をつけた大物財界人

画質のクオリティは、ソニーのほうがはるかに良かったのですが、いざやるとなったら、向こうは2時間、ソニーは1時間、それが勝敗の分かれ目で、残念ながら、世界ではソフトウェアを見る人のほうが多かったというわけです。

ただ、テレビを録画して自分の都合がいい時に見るというコンセプトは、世の中に植え付けられました。それは、昭夫の“タイムシフト”というコンセプトが元と言えます。とはいえ、悔しかったですね。最後の瞬間は、松下さんがどっちに転ぶか、それで決まったみたいです。


ベータマックス(上)とVHS(写真=Ya, saya inBaliTimur/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

私は、松下幸之助さんに会って、愛知県の幸田町にあるソニーの工場にも案内したことがあるのです。幸之助さんには、個人的に3回ぐらいお会いしました。ライバルであっても、その頃の各社の社長とも交流がありました。松下さんだけでなく、シャープさん、三洋電機さんとも大阪へ行くと一緒に食事をしたりしました。

結局、世の中にベータマックスを受け入れてもらえなかったことについて、私だけでなく、みんなが感じたことがありました。

ソニーはどっちかと言うと、クオリティでは絶対負けないという思いを持っていましたが、その時のお客様はソフトウェアが大事なのだと考えていました。クオリティがちょっと低くても、ソフトでちゃんと満足できたほうがいいのだと。


■決してクオリティでは負けていなかった

われわれは、エンジニアとして、クオリティばかりこだわっていましたが、お客様の側から見たら、そこが一番ではないかもしれない。やはりお客様が何を欲しいのかということをきちんと考える必要があり、商品がいいだけではものは売れないということは、ものすごい教訓になりました。

ただ一つ付け加えさせていただくと、業務用放送機器ではソニーは断トツシェアトップで、ニュース、ドキュメンタリー、ドラマなどの撮影にソニーの機器が使用されています。ソニーの製品がなければ、テレビ放送は成立しないと言っても過言ではないほどで、クオリティにこだわったソニーのコンセプトは決して間違いではありませんでした。

映像のプロフェッショナルの世界では、ソニーの優位性が保たれており、ソニーが貫いたポリシーとこだわったクオリティを評価して価値を認めてくれる方々が今でも多くいます。これは私にとっても誇らしいことです。


■井深さんが一番怒ったこと

振り返ると、基本的にソニーは、何にも教えてくれませんでした。でも、私にはそれが良かったのです。

井深さんにしろ、昭夫にしろ、誰からも教えてもらったことなどなかったです。要するに、自分で考えろという主義です。

聞きに行っても、こうやってみたらどうか、というサジェスチョンをくれるぐらいで、ああやれ、こうやれと言われた試しはないです。私にとっては、楽しいというか、そのほうが嬉しかったのです。自分の自由になりますから。やっては失敗、やっては失敗……。誰もやったことのないことを、失敗せずにやれと言われたって、やれるはずがない。

井深さんたちも初めてやることだから、失敗するのは当たり前だと思っていました。失敗したということは、こうやったらダメだというノウハウが、一つプラスになるのです。

井深さんが一番怒ったのは、社員が「考えています」と言った時です。「おまえ、考えているのはその位置に止まっているのと同じだよ」。要するに、「とにかく何かやれ」、「行動に移せ」ということです。

目標に出合って、「近づこう」ということしか考えていませんから、失敗にめげているどころではないのです。「こうやってダメだったら、ああやってみるか」ということしか考えていないので、たいていそのうちにだんだん手詰まりになってきます。そうなったらみんな誰かの所に行って、ああだこうだやる。最初の頃のソニーは、だいたいそんな感じで課題を解決していました。


■失敗するのは当たり前

実は、私はソニーで教育訓練を一度も受けたことがないのです。研修というのは、もっと後のほうにできたもので、私が研修を受けたのは、コンピュータができた時です。伊豆にIBMの研修所があって、コンピュータのトレーニングをやらされたぐらいです。

とにかく、何でも自分で考えて自分でやって、すごく自由度があったから、面白かったです。

私は、井深さんから直接いろいろな指導を受けることができました。井深さんと一緒に働いていく中で、井深さんの考え方が、自然と私の基本的な考え方になっていきました。井深流ソニースピリットが、盛田正明の礎となったのです。


盛田正明・神仁司『人の力を活かすリーダーシップ』(ワン・パブリッシング)

私だけではなく、私の兄の昭夫、後の経営トップになった岩間和夫さん、大賀典雄さんも皆同じ思想でした。

今、もし私が、井深さんにこの指導方法のことを改めて聞いたら、きっと、「そんな、いちいち、みんなに教えている暇なんかないよ。みんな立派な脳を持っているんだから、自分で考えてもらうしかないんだよ」と笑いながら言うでしょう。井深さんはそんな人でした。

常に新しいことにチャレンジしていたわれわれは、失敗するのは当たり前、七転び八起きの毎日で、一歩一歩前進していきました。これほどやりがいのあることはなく、苦しいながらもあの時代は本当に楽しかったです。

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盛田 正明(もりた・まさあき)
元ソニー副社長
1927年5月29日生まれ。愛知県出身。ソニー創業者の一人・盛田昭夫を長兄とする盛田兄弟の三男として生まれる。1951年東京工業大学を卒業し、東京通信工業(現在のソニー)に入社。常務取締役、副社長などを歴任し、ソニー・アメリカ会長も務める。1992年にソニー生命保険の社長兼会長に就任。1998年にソニーグループ引退後、2000年に日本テニス協会会長に就任。同年に、私財を投じて「盛田正明テニス・ファンド」を設立し、錦織圭をはじめ多くのジュニア選手の育成に尽力。
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神 仁司(こう・ひとし)
ITWA国際テニスライター協会メンバー
1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現在のキヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材している。国際テニス殿堂の審査員。著書に、『錦織圭 15‐0フィフティーン・ラブ』(実業之日本社)や『STEP〜森田あゆみ、トップへの階段〜』(出版芸術社)がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー。
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(元ソニー副社長 盛田 正明、ITWA国際テニスライター協会メンバー 神 仁司)

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